笠被り地蔵の寄進

寛政9年(1797年)10月、中之郷村名主田中傅四郎は、夭折した愛児の供養のため、また子供達が無事成人するようにと、巨大な地蔵菩薩の石像を寄進しました。

地蔵尊は、頭上に大きな傘(直径1メートル)を被り、慈悲の微笑を漂わせた面相で、手には宝珠をもって、法界定印(薬壺印)を結び、結跏趺坐しています。像高1.5メートル。石材は由比川上流から運び、信州(長野県)高遠の石工又兵衛、金左衛門が製作しました。

観光和尚31歳のときでした。最初山門右側に安置され、前面を通る東海道に向かっておりましたので、街道を往来する旅人たちは、「笠被り地蔵さん」と口々に伝えましたので、東海道の名物として評判になりました。

その後、寺門整備のため、26世大亮賢宗和尚が境内右側に移転し、さらに賢龍正教和尚が現在地に安置しました。

また、寄進者の田中傅四郎は、代々傅四郎を襲名し、元禄以来宗清寺の檀家でした。出所は不明ですが、中之郷村(現大楽窪)に居を構えて、名主役を勤めて、小池長者といわれた分限者でした。その屋敷は「東海道分限延絵図」に、周辺の寺院よりも規模が大きく、一目で分かる大きさに画かれています。